ツイッターでのつぶやき

TwitterWind

フォト

乗り物いろいろ

  • はやとの風4
    移動が仕事。乗り物に乗るのが仕事。各地で出会った九州・沖縄の乗り物をご紹介します。

« 沖縄かけ歩き① | トップページ | 沖縄かけ歩き② »

ハンセン病療養所・沖縄愛楽園

5月11日、名護市の北部地区委員会で嘉陽宗儀県議、具志堅徹元市議と合流し、国立療養所・沖縄愛楽園へ向かう。

P1020851 国の人権侵害を認め、ハンセン病元患者らに賠償金を支払うよう国に命じた熊本地裁判決(2001年5月11日)から、ちょうど5年目にあたるこの日に、施設を訪問する機会に恵まれた。
愛楽園は70年近い歴史をもつが、らい予防法(1907-1996)による隔離政策と偏見が、患者の人間としての尊厳を踏みにじってきた歴史でもある。

患者自治会長の金城雅春さんと懇談。会長は裁判の第7次原告団長でもあった。
P1020834 裁判以降、85人が社会復帰を果たし、ほとんどが家族・親族のもとに戻れたとのこと。しかし、「外来で一般市民の診療を行っているものの、退所者が増えれば今の医療体制は維持できなくなる。しっかりとした将来構想をつくることが課題だ」と述べられた。
「うちは介護のスペシャリストがそろっている。介護保険制度ができるはるか昔から」。なるほど、治療と介護の蓄積は、まさに宝だと頷く。

また、患者が入院を希望したら「再入所」となり、給付金が下がって生活ができなくなる問題も
教わる。党も解決に連携してがんばることを確認する。

2年前に平和資料館に行き、国籍及び軍人、民間人を問わず、沖縄戦などで亡くなったすべての犠牲者を追悼碑に刻む平和の礎(いしじ)を見学した。「八県百感」にもそのときの感慨をつづった。
http://jcp-tamura.web.infoseek.co.jp/tamura-kakearuki041010.htm#20041010
まさか、ハンセン病患者が刻印から除外されていたなんて、そのときはわからなかった。金城さんの裁判陳述を読んではじめて知り、ショックを受けた。

その理由は、遺族が申請しなかった。仮名を使っていた患者がいる。戸籍の原本が戦争で消滅した――などであるが、戦争で死んでも人間として扱われなかったことは、沖縄のハンセン病患者が幾重にも差別されてきたことを物語る。2001年にはじめて刻印が実現した。

P1020835 「その後、申請は増えましたか」
「団体からの申請が認められ、287名の刻印が今年で終了します」
今月は、宮古南静園との共同で「沖縄県ハンセン病資料集」が発刊されるとのこと。
「『礎』も資料集も大変苦労したが、私たちが生きていた証しができた」と金城会長。本当によかった。


P1020852_3P1020850_1 療養所には、戦争の傷跡が今もなお深く残る。【写真/船からの艦砲射撃の跡。患者が自らの命と体を犠牲にして掘った待避壕】

« 沖縄かけ歩き① | トップページ | 沖縄かけ歩き② »

かけある記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/122853/10045163

この記事へのトラックバック一覧です: ハンセン病療養所・沖縄愛楽園:

« 沖縄かけ歩き① | トップページ | 沖縄かけ歩き② »

お願い

  • 励ましのコメントをお寄せくださる皆様へ。ありがとうございます。匿名でけっこうですので、メールアドレス(携帯可)をお持ちでしたら、ぜひお教え下さい。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

田村貴昭の写真

  • Photo
    宣伝物に使っている写真です。ダウンロードして活用してください。

ホームページ

2016年4月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30